丁寧な暮らしとがんばらない暮らし

基本的に頑張らないように生きようとしているが、何かというか、たいていインスタグラムのきちんとした丁寧な暮らしを見て触発されたとき、私もやればできるんじゃないか、と思ってしまう。

 

そんな丁寧に生きてやろうという気分の日、夫を送りだし、シーツを替え、掃除機をかけ、ずっと見て見ぬふりをしてやり過ごしていた詰め替え容器に入れるべきものを入れ、郵便局と買い出しに行き、とかを午前中に全てやってのけた。やればできるじゃん、私。と思ったのもつかの間、なんだか燃え尽きた気分になる。

 

結局気が付いたらテレビの前のソファの定位置に落ち着き、テレビ見たり映画見たり本読んだりしているうちに気が付いたら落ちていた。丁寧な暮らしをする気で一日をスタートしているので、寝る気などなかったから、寝ていたことに驚く自分。でもやっぱりな、と驚いていない自分もいる。

 

こうなると、もう丁寧に暮らすことはやはり私には到底無理だという結論に至る。丁寧なくらしのことを考えれば考えるだけ、頭が疲れて疲れて大変だ。もう時間も時間だし(と言ってもまだ日は暮れていない)、寝たらなんか疲れて丁寧に暮らすとかもはやどうでもいいから、夜ご飯は適当にラーメンとかでいいかな、という気分になってくる。悲しきかな。悲しみながらもラーメン食べてアイスまで食べた。

 

 何度試しても同じ結果になるのだが、やはり私にはきちんとした丁寧な暮らしよりも、昼寝とか気兼ねなくできちゃうがんばらない暮らしの方が自分に合っている。今回も再認識して挑戦は無事終わった。

 

f:id:momosjournal:20181030165433j:plain

夫が体験陶芸教室で作ってきた激渋フルーツ皿。