力になれて嬉しいです。

私には決断力というものが欠如している。たぶん、昔はもう少しあった。だが、10代の終わりごろから徐々に無くなっていき、今となっては皆無。威張ってる場合ではないのだが、本当なので誤魔化しようがない。

 

「え?その体形で?」と言われるかもしれないが、私は食に興味がない。だから、食べ物関係の事を決めるのはことさら苦手である。口には出さないが、薄々勘付いている友人Yは、ご飯を食べに行く時に、形だけ「何食べたい?」と聞いてくるが、すぐに「餃子食べよ」とか「焼き肉にしよ」とか提案してくるので大変ありがたい。

 

焼き肉は好きだが、肉の種類を選ばないといけないのが難点である。その点、友人Yと焼き肉に行くと、焼き肉店勤務経験を活かして迷いなく選んでくれるので楽だ。実際は何の肉を食べるのかよく分かっていないが、私は横で「それにしよー」とか「それ食べたい」とか言っていればよい。好き嫌いがなくて助かった。YはYで食べたい肉を食べれるのでウィンウィンである。

 

夫も、昔は私が決められずにイライラする度に困っていたが、最近では私がイライラのイを出す0.5秒前には「豚肉とナスと玉ねぎの炒め物」とか「うどん」とかスッと提案してくれるので大変助かっている。

 

その事に感謝の意を伝えると、遠い眼をして「おかげで仕事でもすぐ決断できるようになった」と逆に感謝されたみたいなので、私の決断力のなさが人の役に立てて感極まる思いである。

 

だが、そうなると徐々に私の決断力が一つ、また一つ消えていくことになるので、将来が大変心配であるのも事実。夫に先立たれた場合、一体葬式はどうしたらいいのか、それから墓は?

 

けれども周囲の人が、私の手助けがあってこそ培う事のできる決断力を今後私が奪ってしまうのもどうなのか。しばし熟考した結果、私は今のまま、彼らの決断力を伸ばす手助けを今後もしていくことに決めました。頑張ります。

 

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散歩中に出会った猫様。すごくダルそうだった。