三日坊主、再出発をはかる

ある日私は、もうそろそろ真剣に英語が上達したい、と思ったのだった。とりあえず、天声人語の英文対照版を一日一つ精読することに決める。一日に何度も繰り返し読んだら語彙力は増えるし、文法の理解は深まるはずなのである。

 

一日目。もちろん余裕で精読に取り組む。朝に数回、昼休憩中に数回、帰宅して数回、何度も繰り返し読む。私、やればできる子だったんだ、と改めて気づく。

二日目。朝、読み忘れる。昼、読み忘れる。会社から帰宅後、そういえば精読するんだったわ、と思い出し、なんとか数回読む。二日目にしてもう忘れているなんてアカン、と軽く喝を入れる。

三日目。朝、読み忘れる。昼、読み忘れる。夜、読み忘れる。布団の中で精読することを思い出す。明日は三日目の分も読む、とおのれに誓って就寝。

四日目。一日を通して読み忘れる。結局二日しか(二日目もほぼ忘れかけていたが)精読に取り組めなかったことに心を痛める。明日こそは三日目と四日目の分も読む、と誓って就寝。

 

数週間後。引き続きずっと読み忘れている。もはや喝を入れたり、心を痛めるレベルは過ぎた。天声人語を印刷した紙の束がずっと通勤カバンの中にあり、次第にくちゃくちゃになっていく紙束を毎日無心で眺めている。

 

ということがあったにもかかわらず、ある日私は、中国語を学びたい、と突然思ったのだった。というのも、トリリンガルというのはざらにいるので、私にももう一言語習得できちゃったりするのかもしれない、と思ったのである。

 

だが、中国語とはなんぞや、ということをみてみると、とりあえず母音の数がおかしい。そして漢字が難しい。そもそも、中国語を習得してしまったら、職場にいる中国人たちが何を話しているのかが理解できてしまい、それはあまり都合がよくないし、それにたぶん仕事も増えるし、何より英語だって中途半端なのに中国語なんかやってる場合じゃない、と言い訳を並べられるだけ並べて、中国語の勉強することは即やめました。

 

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まずは天声人語の英文対照版を一日一つ精読することから再出発を図りたい。