きっと来世では

私は厄介な人間だということは今始まったことではない。夫と出会った十代の頃から私はずっと厄介な存在だったはずだ。それなのに。十年以上一緒にいるのに。まだ私の扱いについて理解していない、というのは一体どういう了見か。

 

たとえば、というか実際にあったことなのだが、私が仕事の愚痴を言ったとする。そこで夫が「もっとこうしてったらいいんちゃう」とアドバイスをくれたりする。もうこれが間違いなのである。

 

私は助言が欲しいときははっきりと聞く。「どう思う?」と。そうじゃない時はただ聞いて欲しいときなのである。だから私が「どう思う?」と聞かないとき夫がするべきことは、私の話を聞き、寄り添い、必要とあらば抱きしめる、まあ今のように暑くなってきて夫がペタペタしている時期は抱きしめなくてもいいけれど、まあそのようなことを私は求めているのである。

 

 

それなのに夫は誰も求めてもいないアドバイスを与え、そして私を怒らせた。確かに単純明快な夫からすると複雑怪奇な私を扱うのは難題かもしれない。それでも、私は夫を120%幸せにしているのに、夫は私を30%ほどしか幸せにしてくれていないというのは問題である。まあ、神様は乗り越えられない試練は与えない、と言うので夫も精進するしかない。きっと来世ではいい人生が待ってる。モモコからは逃れられないけれど。

 

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