働くことで解放されたこと

働きたくないけど働き始めた。嫌な言い方に聞こえるかもしれないが、私なりに気持ちは前向きである。誰にも強制などされておらず100%自分の意志で求職活動し、履歴書を送り、面接に出向き、採用の通知にぜひよろしくお願いします、と返信をした。

 

働き始めて気づいたのは、「働かなければならないのに働いていない後ろめたさ」から解放されたことだ。私は心身ともに健康であり、子育ても介護もしていないので実質的に働けるのである。自分の意志でちょっとの間働いていなかった。

 

でもそこには常に「働かないと」というモンモンとした何かが重くのしかかっていた。働いているときには辞めたいなと悩み、働いていないと働かないといけないのかな、と悩む。人間とは訳わからん生き物である。

 

そして私は気づいてしまった。私は社会に洗脳されているのだと。人間働いてなんぼ、今の時代働くことこそ当たり前なのだ、と生まれてからずっと社会や学校からすり込まれてきたのだ。ああ、なんて恐ろしいことだ。

 

と、夫に話したら、そういう考えのお前が一番怖いわ。働けるなら働けよ、甘えんな。生活するためにはお金がいる、お金を得るためには働く。働かなあかんねん、そんなもん社会のすり込みでもなんでもない。と大体このようなことをハッキリ言われた。

 

とはいえ、世の赤には仕事人間やワーカホリック、趣味が仕事と豪語している人がいるので、私のように働いたら死ぬみたいな人がいたっておかしくないじゃないか。って何を言っているんだ私は。

  

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注)これは夫の筋肉増強弁当。私がこんなに食べたら一瞬でデブ。

6時に起きて夫のお弁当を作らなくてはならないのが前にもましてつらく感じる。