私の右手の行方


私は基本的に注意深い人間だと自分自身では思っている。家族からは「いい加減」とか「どんくさい」とか「横着」とか形容されることが多いものの、しっかり者だとも一応認識されている。だが、この日に限っては注意散漫だったのかもしれないし見えない力が悪さしたのかもしれない。

 

この日、お昼ごはんに夫と辛ラーメン~モヤシとほうれん草とヒラてんの卵炒めのっけ~を作ろうとしていた。私はほうれん草を洗って切ってフライパンに投入すること役目を仰せつかった。

 

ほうれん草は泥がついてるから丁寧に洗って、包丁で切っていたところ、自分の右手が思いもしない位置にあることに驚き、さっと右手を引くとこれまたうまい具合に包丁の刃で人差し指が切れた。

 

包丁で刺された時とか切れたときの効果音というのは「グサッ」が多いが、本当にグサッだったのでここに報告したい。効果音として「グサッ」をはじめて採用した人に拍手を送りたい。

 

とめどなく流れる血を止めるにはとりあえず傷口を心臓より上に、と思って右腕を上にあげたらその様はまるで「天上天下唯我独尊」と言ったお釈迦様のようやな、と夫が言うのだが、そんなこと思ってないで止血を手伝えよ。血ダラダラ出てるんだよ。のんきに釈迦とか言ってる場合かよ。

 

そんな事件があったこともあり、出したら出しっぱなしを夫とともに実行した結果、散らかり放題の部屋にウンザリしたので、とりあえずダイニングテーブルから片付け始めようと思い、テーブルの上に置いてあるマフラーのはじを右手で掴み上にプラ―っと持ち上げたら、ペンダントライトの角で右手の人差し指がざっくり切れた。今度は包丁で切った箇所から三センチほど下。

 

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これが私に怪我を負わせた。この角のとがってるやつ。

 

どうなっているのか自分でも分からないがおそらくものすごく疲れているのだ、私は。そうだ。もしくは浮かれているのか、何か悪いものが憑いたか、誰かに恨まれているのか、可能性は無限大である。

 

同日に二回も流血騒ぎを起こすなど、30年以上生きてきてはじめての経験。そんな事態に精神的にまいってしまった私は、とりあえずお茶でも飲もうと思ってお湯を沸かし、マグカップにお湯を注いでいた。熱湯をマグカップに入れるという特に何も難しくない毎日のようにやっている行為。ところがこの日の私はいつもの私ではないことをすっかり忘れていたのだ。

 

気がついたら熱湯を自らの右手に注ぐモモコ。包丁で切られ、ライトにも切られたところはもちろん熱湯の餌食に。一日に三回も右手、主に人差し指、に怪我をする私を見て「何やってんねん」と呆れている夫。びっくりしてカップを床に落とさなかったことはファインプレーだった。

 

この痛みと情けなさと誰のせいにもできない辛さに涙が出た。このまま行くと数日後には右手が折れるか潰れるかなくなるかである。どれが現実になっても困るので気を引き締めていきたい。