元号が変わったとき、わたしは。

世間が「平成最後、令和元年」と騒ぎに騒いでいる中、特別なことをするというアイデアすら浮かばなかった私は、特別感ゼロのいつも通りの晩ごはんを食べ(好物のペペロンチーノを出された夫は喜んでいた)、いつも通り日付が変わる前に就寝していた。目覚めたらもう令和。人々がカウントダウンするなどして盛り上がっていたことを知ったのは翌朝のことだった。

 

元号が変わるということは何かお祝いをするべきだということをなぜ、誰も教えてくれなかったのか。教えてくれさえすれば、一応晩ごはんをお寿司もしくは肉にするなどしてパーティー感を装ったり、飲酒したりしてテンションを無理やり上げたり、日付を越えるまで起きていようと努力したりしたはずだ。言ってくれさえすればよかったのだ。

 

ここ最近テレビをつければ流れていることは、平成ではこんなものが流行った、前代未聞の10連休期間中世間はこうなる、のみであった。花火を最初から最後まで見れないほど飽き性の私が、そんな内容ばかりに耐えられるわけもなく、テレビをつけることをやめた。おかげで見たかったスペシャルドラマを見逃していた。そうこうしていたら、世間では「元号が変わる時は盛大に祝う」という常識がいつのまにかできあがっており、その常識を知らぬまま元号が変わった。

 

それにしても「令和」に決まったとき、こんな元号に慣れる気がしないと変化が嫌いな人間としてはモヤモヤしたものだが、一か月間毎日毎日毎日毎日繰り返し「令和」という言葉を見聞きしているともう違和感がなくなったので安心している。

 

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平成の終わりそして令和のはじまりに何を着ていたかといいますと、これまた夫のおさがりの芋焼酎Tシャツ。相応しいとはまさにこのことである。