迷える人生の法則

迷う事を積極的に避けている。なぜって迷ったら決断しなければならないからだ。多くの場合私の決断は、失敗や破滅や落胆という類のネガティブな結果を導く運命にある。

 

しかし物や情報で溢れかえっている私たちの生活において、迷うことと決めることから完全に逃げる事は不可能に近い。だからなるべく人に(主に夫)にお願いすることにしている。その決断がいい結果をもたらせば褒めておけばいいし、悪い結果をもたらせば責めることができる。なんと無責任で楽か。

 

どうしても私が決断しなければならなかった場合に、どうなるのかを例に挙げてみる。山ほど積まれている見切りのイチゴがあった。買おうか迷った結果、イチゴ好きだし練乳あるしという理由を並べ立てて、買うことにする。

 

そして今度はどれにするか迷う。慎重に慎重を重ねて選び抜いたイチゴのパックを、空に高々と掲げ(心の中で)、持ち帰って食べようとしたら、イチゴが何ということでしょう、まさかのかびまみれ。でもこの失敗はまだ可愛い。被害額は300円ほどのことだ。

 

家電量販店という魔窟で、洗濯機を買わなければならなかった時は大失敗だった。だだっ広い空間に並べられた100台もの洗濯機。選択肢が多すぎた挙句、情報量過多のセールストークのせいで、迷うを通り越して頭がおかしくなった結果、乾燥機能付き(使わない)の目玉が飛び出るくらい高い洗濯機に決めた。頼みの綱の夫ですら正常な決断ができなかったことを鑑みると、やはり家電量販店は魔窟なのである。

 

洗濯機を設置しにきたおじさんは「浴室乾燥があるから乾燥機能付きを買う人はいないねえ」と言った。仰る通りである。今度家電を購入するときは、おじさんを連れて家電量販店に出向き、決断はおじさんに委ねることにする。

 

度々、物理的にも迷子にもなる。どっちの方向に進んだらいいのか分からないから、自棄になって「最終的に大事なのは自分を信じることだ」と言い聞かせて歩き始めると、9割方逆方向に向かって歩いている。進むべき方向に迷い、向かうべき方向は決められない。まるで自分の人生を見ているよう・・・。 

 

例を挙げればきりがないが、これらの例を通して浮かび上がるのは「迷う+決断する=失敗・破滅・落胆」の法則だ。上手くプレゼンできたと思う、私が決断を拒否し他人任せにしたい理由を。

 

人生最大の失敗は、数年前、なんでか同時に3社から採用をもらったことに始まる。喜んだのはつかの間、待っているのはどれか1社に決めなければならないという現実。

 

「迷う+決断する=失敗・破滅・落胆」の法則の下に生きている私にとって、どれほどこの現実に向き合うことが難しかったか。どの会社に決めても、どの会社にも行かないと決めても、結局は決めるのだから待っているのは「失敗・破滅・落胆」なんだからもう無茶苦茶である。

 

迷った挙句、なんとか1社に決めたのはいいが、やはり結果は「失敗・破滅・落胆」だ。侮ってはいけない、法則は簡単に覆らないのだ。入社して早々、派閥争いに巻き込まれ、続いて二枚舌・ゴシップ・嘘に翻弄され、あらゆるハラスメントに絶望した。失敗も失敗、まさに人生の暗黒期。 

 

数年後、あることがきっかけでようやく辞めることを決断し、その後夫に寄生する生活を経て、今や立派なパート主婦である。今は迷いのない幸せな日々を送っているかというと、やはりそんな訳はないのだった。目下、出勤日を増やすべきかどうか迷っている。そう、私は懲りずにまた迷っているのだ。

 

じゃあ夫に決断を委ねればいいのだろうが、鬼畜夫は働けと言うにきまっているので委ねられない。いつか木星の位置がこうなって冥王星と天王星の位置がああなったて火星と海王星が何かしら関わったら「迷う+決断する=失敗・破滅・落胆」の法則から抜け出せて人生いい感じに回っていくような気がするので、その時が訪れるのを辛抱強く待ちたい。