アリとキリギリス

もう六月である。繁忙期は一月から三月と聞いていたのだが、やってもやっても仕事が湧いてくる。六月なのに。私は残業はしない主義なのだが、仕事が湧いてくるので残業せざるを得ない。なぜ皆笑顔で腰を低くして仕事をお願いしてくるのか。私に断らせないつもりか。思惑通り、まんまと断れないではないか。

 

来る日も来る日も仕事が忙しく、忙しくなればなるほど、来年から働く時間を増やそうと思っていた私のやる気が急激に萎んでいく。そもそも私の労働に対するキャパシティは、一般の人のおよそ1000分の1くらいちっぽけなのに、である。

 

私の働く気のなさに「働かざる者食うべからず」精神の夫は言った。そのままではキリギリスのようにいずれ死ぬ、と。

 

童話「アリとキリギリス」残酷バージョンでは(エンディングは三パターンくらいある)、夏の間遊んでいたキリギリスは冬になって食べ物がなくなり、夏の間せっせと食べ物を貯めていたアリに食べ物をくださいとお願いするも、夏の間歌ってたんだから冬は踊ればいいんじゃね?とアリに断られ、死ぬのだ。

 

働かないと夫に見放されいずれモモコは死ぬ、と夫は示唆しているのだ。そういう人生の結末になってもいいくらい、働きたくないという気持ちをなぜ理解してくれないのか。

 

いい加減、私のことを妻及びパートナーと見做すのではなく、子供だと思って欲しい。そう思ってくれたら私も夫もお互いに楽になると思うのだが、夫が私のことを子供だと見做してくれる日は遠そうである。引き続き説得を試みたい。

 

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お弁当を作る気力も湧きませぬ。