邪悪な感情を浄化

夫が鹿児島でゴミ屋敷の片付けや、義母のナンセンスに付き合うなどして疲弊している中、私はストレスフリーなすがすがしい一日を過ごす。最後まで夫にほだされることなく「絶対に行かない」という、おのれの意思を貫いて本当によかった!行っていたらさぞかしみじめな思いをしていたことだろう。夫のように。

 

片付け中の夫より、「着物欲しい?100万円くらいするらしいで」と連絡が入る。他人が素手で握ったおにぎりを食え、と言われているかのような気持ち悪さが瞬時に湧き上がる。断るのは簡単だが、クエスト参戦中の夫のことを考え、着物を金塊に交換してみては、と提案をしてみるが、あっさり却下。画期的な提案だと思うんだけどなあ。ウィンウィンだと思うんだけどなあ。

 

そんな中、散歩がてら図書館へ行き、予約本を受け取り、好みの本を数冊借り、ホクホク気分で家に帰ろうとしたところ、穏やかな笑みを浮かべたおばさんに「聖書からの慰めです」と話しかけられ、うっかり小冊子を受け取りそうになる。そんなに慰めが必要に見えたのだろうか。それとも私の中に沸いている黒々とした邪悪で卑しい感情が、これ以上神が見過ごせないレベルにまで達してしまい、声をかけずにいられなかったということか。

 

時には神でも誰でもいいから私のことをどうか慰めて、と思うことがあるっちゃあるが「知らない人に道端で話かけられても相手にしてはいけません」というようなことを大人が子供に口酸っぱく言っていることを思い出し、これはきっと私にも当てはまるはずなので、丁重にお断りする。

 

邪悪な感情を浄化するために帰宅後はしっかりめにお昼寝。うっかり声をかけられたりしない程度には清らかさが増したと思う。