日々悩む

毎日毎日馬鹿みたいな日記ばかりあげている人間が言うと説得力に欠けるかもしれないが、日々悩んでいる。その内容はというと、宇宙規模のものから私個人にまつわるものまで大小様々。

 

心配事の9割は起こらないと世間では言っても、今読んでいるある本に、「地球上に生命が存在しているのはまじでミラクル。人類はいつ滅亡してもおかしくない。けどまあ何とかして別の生き物が生まれるだろうからオッケー」みたいなことが書かれていたら卒倒しない人間がいますか。まあこういうもんだから、みたいな軽いノリで書かれていて(違うかもしれない)どうしようもないけどどうしたらいいのか分からない。

 

そんな感じでいつ人類が滅亡するかもしれないという宇宙規模の悩みにつきまとわれているというのに、来月旅行に行くかもしれない。それなのに旅行先をなかなか決められず、ようやく決めたと思ったら夫が全く別の地のガイドブックを熟読している姿を目撃し、結局私達はどこへ行くのか、いつからいつまで行くのか、どうやって行くのか、本当に行くのかもいまいち分からない。

 

というように、地球規模と言えば地球規模の、個人的な規模と言えば個人規模の悩みにも押しつぶされていると、なんと「耳をすませば」の実写化が決まる。雫ちゃんと聖司くん。聖司くんと雫ちゃん。あの愛の告白から二人がどうなったかを妄想して幾年。実写映画を見てはいけない気もするし、はたまたアナザーストーリーの位置づけで消化するとして見るべきな気もする。二人はスマホをいじるのか、カントリーロードを歌うのか、ムーンは猫又になっているのか、おじいちゃんは存命なのか、杉村と夕子は純愛を貫いているのか。

 

そうこうしているうちに、どうやら厄年ということが発覚。車に轢かれて死ぬか、階段からボブスレーのように滑り落ちて大けがする前に厄除けをした方がいいのか一瞬考えたが、前厄や後厄なども含めるとどうやら30代のうちの六年間も厄に憑りつかれることになるらしく、そんな長い間憑りつかれていたらむしろ憑りつかれている方が普通になるのかもしれないと思おうと思うのだが、そんな感じで大丈夫だろうか。

 

と思っていると、仕事の帰り道に自転車に乗っていたおばあさんがわざわざ自転車から降りて私に話しかけてきたので、私もわざわざイヤホンを外して耳を傾けると「どんな悩み事も解決してくれる集会があるんです」と勧誘してきたので、私はちゃんと悩んでいるように見えるみたい。そして今は夕飯何にするか悩んでいる。悩みは尽きない。