ため息しか出ない。

ある日「ここに日本語で書かれたメールの文面を英語に翻訳されたものがあります。二つを見比べて間違っているところを全て修正しなさい」という受験生のような業務を仰せつかる。一見なんの変哲もない業務には実は知られざる複雑怪奇な罠がところどころに仕掛けてあり、いたいけなモモコを苦しめるのであった。

 

まず日本語の文面。その業界について何も知らないなりに用語を調べつつ、この文面の前に何度かメールのやりとりがあったことが伺えるので想像力を最大限に導入しつつ読み進めるのであるが、これが控えめに言っても「わや」だった。言いたいことは伝わる。翻訳はできる。できるのであるが、だがしかし上手とは言わないまでも普通の文章を書く事はできなかったか。

 

そんな日本語を理解するのに頭を抱えているというのに、そこに投げ込まれた新たな罠は翻訳された英語である。日本語が理解しにくかったのは分かる。それゆえ翻訳しにくかったのも理解できる。だがなぜ少しも工夫をせずに直訳してしまったか。私を苦しめるためか。私が何をしたっていうのか。

 

悲観にくれるのはまだ早い。この業務における最大の罠は、そう私自身だ。これがなんとも厄介で、日本語がおかしいのも翻訳がなってないのも分かるのだが、どこをどう直したら正解なのかが分からない。

 

こんな時いつも思うのは、文字通りの生き字引である上司Yさんの脳みそを誰か私に授けてください、ということ。かのSF超大作「攻殻機動隊」の世界のようにYさんの脳と私の脳をケーブルでつないで知識を植え付けられたい。光学迷彩は実現できてなぜまだ脳とケーブルをつなぐことはできないのか。実現する順番を間違えたんじゃないのか。

 

いろいろ納得はいかないまま何とか業務を進めてはみたものの、誰がどう見てもイマイチな出来上がりにしかならなかったのでわが師であるYさんに助けを求めた。最高のものが出来上がった。

 

Yさんによる完璧なまでの英文と己の馬鹿さ加減に、もうため息しか出ない。