話せないし書けない

最近、職場におけるおのれのポンコツ具合にいよいよ嫌気がさしてきたので、文法の参考書なるものを読み進めているのだが、先日改めて明らかになったのは日本語の理解力の低さ。英語はともかく母国語であるはずの日本語すらもよく分かっていないという事実は上手く飲み込めないし、以前読んで面白かった「マスカレードホテル」の映画を見たら内容は大体覚えているものの犯人が誰なのかという一番大事な部分がすっかり抜け落ちており、その犯人にかかわる大事なことを「これおかしくない?」と平気で口にしたりしていたので、私はもういよいよ駄目みたい。

 

と思い始めたころ、半年ほど前に図書館で予約した本が届き、その本は今まさに私が求めてる内容であったのでもしかしたら神様がもうちょっと頑張りなさいと言っているのかもしれない。よし、私もうちょっと頑張ってみる!と前向きになったところで本を開き「はじめに」を読み始めてすぐのところに「本書が第一の目標とするのは、『話せるのに書けない!』を解消することだ。」とあったので、気持ちを整理するために一旦本を閉じた。ちょっと一旦落ち着こう。私は基本的に頭の中は無もしくは混乱状態で、つまりは「話せないし書けない!」タイプの人間なのだがこの本を読み続けて大丈夫なのだろうか。

 

混乱する自分をなんとか鎮め、読み進めると「書く技術を身につけることは、そのまま考える技術を身につけることにつながる」とあって、私は天を仰いだ。考える技術が乏しいと思ってはいたが、そういうことであったか。話せないし書けない人間が考える技術など備わっているわけがないのだったか。

 

だが、こんな私にも論理的に考える術を身に着ける余地はまだ残っているということなのだろう。著者はそうだと言っているし、責任も取るとまで言っている。もし私にこのまま考える技術が備わらなかったら本当に責任取ってくれるのだろうか。どうだろうか。

 

f:id:momosjournal:20200213200139j:plain

20歳の自分に受けさせたい文章講義

著:古賀史健 

 


 

 

note.com